秋晴れのなかに一連の雲あり

残り少ない人生を、神とともに

この世のはじまり(4)~過去に置き忘れたもの~



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少女は子供の頃から感じていた、何か過去に置き忘れたもの、それを取り戻すため。また、自分の中にある、何かわからないけれど、空虚(うつろ)になってしまっているものを埋めるため、中国の親に会いにいきます。

親も20年間、心にかかっていた心のとげを癒(いや)すかのように、娘を歓迎します。

そして、短い滞在のなか、娘はなぜ自分が捨てられなければならなかったのか、問いかけます。答えの言葉は多弁ではありません。しかし、娘は、実の親がどんな過酷な状況のなかで、娘を捨てることになったのかを理解します。

別れのとき、父親はなけなしのお金をポケットから取り出し、娘の養母に差し出します。

前日に、娘が中国に残って、親を助けたい、親に親孝行したいという言葉に、「お前はアメリカに戻って幸せになりなさい、お前にはこの貧困に耐えることは難しいのだよ。」と諭した言葉と同じくらい印象的なシーンでした。


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なぜ少女が、何か過去に置き忘れたものがあると思ったのか、親の愛にめぐまれ、親の愛を疑ったこともない私にはわかりません。

ただ、映像を見る限り、親がなぜ自分をすてたのか、そのとき、どんな複雑な事情があったのか、親が自分が苦しんだ以上に、苦しみ、子供が不幸になっていないか心に掛けていたことを知った少女は、とても満足した顔をしていました。

 

自分がこの世に生まれるにあたって、親がどれほどの愛をかたむけてくれていたのか、最低、他の誰もが望んでいなかったとしても、親が自分の誕生をどれほど望んでくれていたのか、それを知ることが、人間にとって、とても必要なことなのだと思いました。

なぜなら、そのことによって、人は心のなかに、自分を信じるということができるようになるのだと思うからです。

自分が生まれてくることが、とても必要だった。そう思っていてくれる人が最低、二人いる。そうであれば、自分を信じることができる。自分を信じることができれば、人を信じることができます。信じるということは、私たちが生きるということの、根本に根ざしたものなのだからです。