秋晴れのなかに一連の雲あり

残り少ない人生を、神とともに

この世のはじまり (9) ~神とたましいの境目~

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この世のはじまりとは、神が人間を創造して、共に楽しもう思われたのだと、神話は語っています。

神の人間創造というと、神が絶対的な力を使って、自由自在(じゆうじざい)に力を発揮するようなイメージが浮かびますが、実はかなり違います。

まず、二つのたましいに、人間の親となるように依頼しますが、なかなか、「はい」とは言いません。それでも、説得を重ね、将来、子供である人間からお礼を言われる日がくることを約束して、やっと承諾させます。

このように、神が直接手をくだすのではなく、(人間の原形である)たましいが神の要請に答え、人間創造という神の大事業に加わることになります。

きっと、次のようなことだと思います。

たましいというものが、そもそもがどんな存在なのかはわかりませんが、まだ、神との境目もはっきりしていない状態だったのでしょう。そのとき、神から、人間というものを創造することを打ち明けられ、協力を要請されます。しかし、それが、どれ程の大事業なのかもわかりますので、躊躇(ちうちょ)したのだと思います。神に協力しなければならないという思いと、でも、それに協力するには、神の心と寸分違わない心にならなければならない。本当に真っすぐな、わき目もふらず、一つの心でやらないと、やりきれないことがわかっていますので、なかなか決断できなかったのでしょう。

しかし、断ることもままなりません。神の強い思いと、先々にきっと、喜べるときがくることを約束されたのですから…

とうとう、この大事業に協力することを決めます。


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人間創造のたましいの役割は、まだまだあります。人間がこの世を生きるためには、形あるものが必要です。人間の身体もそうですし、人間が住むための住まい(環境)も必要でしょう。そのために、つなぐという力、突っ張る(つながない)という働きが必要です。

人間が人生を生きるためには、生と死も必要です。(人間の原形であるたましいが生き通しなので)死ぬことによって、たましいに戻り、原点に戻る、初心にかえるということが必要となります。もし、人間が過ちをおかしても再出発できるよう…。これこそが本当の、生まれ変わるという意味なのかもしれませんね。

この生死をつかさどる役割は、風(息)の働きと、人間が死ぬときの働きです。人間が生まれるとき、はじめて息を、外から体内に入れます。そして、死ぬとき、息を閉じることによって、死を迎えるのです。これも神(たましいの)の働きなのだそうです。