秋晴れのなかに一連の雲あり

残り少ない人生を、神とともに

この世のはじまり (8) ~守護(まもり)~


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神が人間を創造するにあたって、実際に人間を産み出すために、二つのたましいに、人間の親の役割を与えることになりました。

しかし、それだけではまだ、足りません。人間が人間として成り立つためには、当たり前ではない力が必要となります。

これを守護という言葉で表現しています。なぜなら、ただ単に(理由なく)法則があるわけではありません。親である神が、陰から目には見えないところで働いている力なのです。それは、あたかも、子供が何の心配もなく自由に遊んでいるように見えて、本当は親が陰で目を光らせているようなものです。ですから、守護(まもり)なのです。

人間創造にあたって神は、神自身が直接創造するのではなく、いくつかのたましいに役割、使命というものを授けることになります。


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まず、この世界、人間に形がなければなりません。この世界、人間をかたちづけ、成り立たせるためには、勢いよく突っ張るものと、どんななかにもつながるもの、この二つが必要となります。

つながる力と、つながらない力といってもよいでしょう。わたしたちの身体(からだ)を考えるとわかります。わたしたちの身体のなかの、例えば心臓の細胞どうしは、しっかりとつながってなければなりません。でも、心臓の細胞と他の臓器の細胞がくっついてしまったら、たいへんです。

つながる力と、つながらない力といっても、言葉にすれば簡単ですが、実際に身体のなかで働いているものは、絶妙といっていいでしょう。こんなこと、自分の力でしているとはとても思えません。私たちがあたりまえとして、意識さえもしていない力といっていいのではないでしょうか。

このつながる、勢いよく突っ張るという神の守護(まもり)にも、二つのたましいが選ばれ、その役目を果たすことになります。

なぜ、神は直接創造しようとせず、それぞれのたましいに、その創造をまかせたのでしょうか。

それはこんなことかもしれません。

神は人間を創造しましたが、人間がその後(のち)、どのような世界を創造(つく)るのかは、人間の自由なのだからでしょう。親の思いというものは大切なものなのですが、それに縛られる必要はないのかもしれませんね。

よく、「神も仏もない」という言葉が、簡単に使われますが、それは違います。神は人間の創造にめったに口出ししません。子供の将来は、親がどんなに心配しようが、最終的には子供自身が決めることなのだからです。