秋晴れのなかに一連の雲あり

残り少ない人生を、神とともに

この世のはじまり (3)~マリアの予言~

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まったく人類に罪がないわけではありません。今現在、地球上に起こっている異常気象は、人類が地球を汚染(おせん)した結果でもあります。人類が地球を汚染しつくして、生命が住めない環境になるまえに、地球が自(みずか)らを守ろうとしているのだと、マリアのメッセージは伝えています。

実はこの本(マリアのメッセージ)で予言されたその内容は、もっと過激なものです。地球の起こる異変は地球上の全(すべ)ての国をまきこみ、凄(すさ)まじい環境の変化をもたらすといっています。そのとき、人類が生き残るための生命線が、信仰なのだといっています。

人類が生き残ろうとしたとき、最後の命綱(いのちづな)は、私たちの心のなかにある。もちろん、最低限度の食料、インフラも必要でしょう。

でも、過酷な環境のなか、どんな残酷な運命が待ち受けているかわからないなか、信仰という心の武器を持たずして、乗り越えることはできない、そのようにいっているのです。



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私がある時、出会った一冊の本。「マリアのメッセージ」。

そこで聖母マリアは、神に帰りなさい、と力強く、私たちにも語りかけています。でも、それには、いったいどうしたらよいのでしようか。

神に帰る。原点に帰る。自分を創造(つく)った親に出会うということ。この世はじまりを知るということも、そういう意味では、神に帰るということの一つであると思います。

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先日偶然、NHKスペシャル「わが娘(こ)を手放した日」副題が-中国一人っ子政策のその後-という放送を見ました。

中国一人っ子政策の過激な政策、民主的な国家ではありえないような、非人間的な政策があったんだということを、はじめて知りました。

そんな中、男の子が優先されるなか、女の子が捨てられ、養護施設をへて、おおくの子供たちが外国に養子にだされます。その養子にだされた子供が、親をさがして、運良く出会うことができた、とてもまれな出逢いの記録でした。

少女は髪の色も目の色も違う養母のもと、大切にそだてられますが、何か過去に置き忘れたものがあると感じていました。また、なぜ、自分が捨てられたのか、理由を知りたいと思っていました。それは、自分を捨てた親を恨(うら)むという気持ちとは、ちょっと違った心の動きであったようです。きっと、素晴らしい親に育てられてのでしょうね。人はこの世で最初に出会った親から、信じるということを学びます。

そして、それはその人が人生を生きるうえで、とても大きな影響をもたらします。

 

この世のはじまり (2)~二つの文明~

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現代の人類が現れる以前にも、今と同じくらいの文明があったのではないかという、話があります。皆さんも、一度は聞いたことがあるでしょう。

有史以前に、アトランティス、レム-リア文明が存在して、そして、海中に没したというのです。私はあながち荒唐無稽(こうとうむけい)の話しではないと思っております。

それらのことについて、様々な資料を駆使(くし)し、私たちにも読みやすく、説得力をもって説明してくれた本があります。

一時、話題になったことがあります。グラハム⋅ハンコックという人が「神々の指紋(しもん)」という本をかいてくれています。(私はマンガになったものを読みました。)

これらの文明は、現代と同じくらいの(科学)技術が発達していたのだといいます。しかし、技術への過信が心の価値への軽視となるのはよくわかります。今と同じです。

技術の進歩がすべてを解決すると過信してしまったのでしょう。未熟なものが、霊的成熟のないものが、巨大な力をもったら、どんな結果を生むのか、火を見るよりあきらかです。

この仮説がそれなりの真理をふくんでいるとするならば、とても現代の状況に酷似(こくじ)しています。そして、この二つの文明は、あとかたもなく消滅し、そして、すべてを失います。ほんのかすかな痕跡(こんせき)だけを残して…



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だいぶ昔になりますが、イエス・キリストの聖母(せいぼ)として、信仰の対象であるマリアが、世界各地に出現し、おおきな話題になったことがありました。

古くはフランスの一田舎のルルドに。貧しい粉引(こなひ)きの娘で、学もない一少女のまえに、聖母は現れます。それにより少女は、奇蹟の泉を人々にもたらすことになります。

ある時私は、図書館で一冊の本を手に取ります。「マリアのメッセージ」という本です。内容は、聖母マリアがきたるべき地球の大異変を予言し、それに対し人々が準備するよう、そのことを促(うなが)す内容です。

予言が当たっているのかどうか。予言は多岐(たき)にわたっておりますので、一概にに言い切ることはできません。短期的に日付を入れた予言は半分あたり、半分はずれといったところでしょうか。地球に大異変がおこることを予言している部分は、(短期的には)はずれています。

ただ、予言を大筋でたどると、かなり正しいことをいっていると(私は)考えております。



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宇宙という、それも時空をこえた次元のシナリオのなかで、やはり、宇宙も進歩しているのだそうです。それは、何百万年単位での話しでもありますので、直接的には人類に罪があるわけではありません。

確かにそれは、私たちの短い人生でも同じかもしれませんね。直接的には、うっかりミス、もともとがちょっと、人生設計まちがっていたよねとか、そんなふうに(人生における失敗というものが)見えていたとしても、ほんとうは、私たちの人生にとっては、必要なこと、避けてとおれなかった道であったことが、後々わかります。それと同じだと思います。

人類がたどらなければならない、必要不可欠な道が、目前に迫っているのだと予言は説きます。予言なんてそんなものだよ(半分当たって、半分はずれて、いいかげんなものだよ)、と言ってしまえれば話しは簡単なのですが…

この世のはじまり~神の声をたよりに~

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この世のはじまりについて、書いてみたいと思います。

なぜ、私がこんなことを書こうと思っているのかというと、神さまの声をたよりに書こうと思っているからです。

私は科学者でもありませんし、霊感があるわけでもありません。

しかし、生きとし生けるものすべてにたましいがあって、いきもの全てが生きているのは、たましいがあるからであり、たましいとは命そのものであると思っております。

ずっと若いときから、信仰していて、やっとそのように思うようになりました。

そのたましいに、神はちゃんと答えをくださることに、最近やっと気がつきました。

 


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テキストというか、原本はありますが、それについては詳しく書きません。

あくまで、私が今、神の力をかりて、そのテキストに解釈をを加えますが、とても個人的なものです。

 

では、なぜ私がこんなことを書くのかというと、神は、つぎのようにいっているからなのです。

人間でも、自分がどのようにしてこの世に生まれてきたのか、その時、どんなことがあったのか、どんな状況だったのか、どんな経過をたどったのかなど、自分を生んでくれた親に聞くしかありません。親が嘘をつくかもしれない、客観的な証拠しか信じられない、などと言ったら本当のことは永遠にわからないでしょう。

人間の誕生、この世のはじまりについては、この世、人間を造(つく)った親に聞くしかないのだよ、そういっているのです。

神の話を信じ、自分のたましいに問いかけながらだったら、私にも書けるのだと思います。

 


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今までにも、当然、この世はじまりについての多くの神話があります。

しかし、今このときに、この世はじまりのはなし(真実)が必要なのだと思っています。

平成の時代がはじまったとき、ベルリンの壁が崩壊し、共産主義国家がつぎつぎと民主化され、それは神が地上に降りて働いたかのような奇跡の連続でした。

誰もが希望の未来を予想できる出来事でした。でも、そんなに現実は甘くありませんでした。

ゴルバチョフが失脚し、プーチンが独裁者となっていく過程に、なぜロシア国民が独裁者を歓迎するのか、理解できませんでした。そして、いつのまにか、中国が巨大化して、もう制御不能となっていました。

突発的に核戦争がおこる可能性だってあります。

ある予言書には、地球におこる凄(すさ)まじい変革が予言されています。そのとき、人類が生き残るための生命線は、人間の知識、科学の力でもなく、まして、資源の高(たか)でもありません。

信仰こそが人類が生き残るための生命線なのだといっています。

やさしい木枯らし (2)


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私の奥さんには、少し霊感があるようです。霊感があって困ることは、電化製品の不具合が起きることです。幸いそれで、故障したということはありませんので、まぁ許容範囲といったところでしょう。

私と出会った最初のころに、妻は私について「この人(今の私)と結婚するのかなぁ」と直感したそうです。私はどちらかというと、そうは思っておりませんでしたので、妻のほうが正しかったことになりますね。

 

妻はどちらかというと、病気がちということもあって、社交的ではありません。様々なつきあいや、立場上、どうしても出席しなければならない会合、行事などが続くと、ストレスがたまり、胃がキリキリ痛みます。

どうも世間のつきあいが苦手(にがて)で、あるときなどふと、「私はそんなに長生きしたいと思わない。」とつぶやいて、それから、自分で自分のことを解説してくれました。

「神様がねぇ、こう言うの。お前はこの世に来る前の記憶が残っていて、それで、この世界で生きるのが、とても生きずらく感じてしまうんだって…。あちらの世界では、思ったことを言葉にしなくても、すぐ伝わるし、この世界のように、言葉の行き違いもないんだって。」そう言って、自分でもすこし納得したようです。

私のしろうと分析では、女性のほうが男性に比べ、世間の垢(あか)というか、汚れにまみれることがすくなく、神様とか霊的なものと交わることが比較的スムーズであるような気がします。

それに比べると、男性は世間に出て、世の荒波から家族を守らなければなりませんので、世の汚れを身に受けざるえない立場にあるのだと思います。どちらかというと、清濁併せ呑(せいだくあわせの)むという度量(どりょう)が必要だったのでしょう。であれば、巫女(みこ)さんが女性なのは当然ですね。

 

ブログなどで、今まで接点のなかった人の言葉、話しを読むことができるようになり、とくに霊的な感性をもったかたのブログを見るのは、今の私の楽しみのひとつです。

ただ、そのようにブログで公開できるようになるまで、また、周囲の人々の理解をえるまで、その難しさもわかるつもりです。へたな病院で診察などしようものなら、精神病ですねと診断されるでしょう。大昔であれば、魔女や悪魔あつかいなんてこともあるかもしれませんね。

 

人は全て、そして、

あらゆる人の心のなかに、

目には見えないけど、

一滴の水があるのかもしれない

それは、簡単に濁(にご)ってしまうので、

それを維持していくのは、至難(しなん)の技ですが、

まれに、維持されていることがあります

かえがたい宝として、神につながる

ワームホールとして、

人類は大切にしていかなければならない

私はそう

思っております

ワームホール異次元とか別の世界とつながる穴

やさしい木枯らし


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妻と買い物に出かけると、少し強い風が吹いていました。

「これは木枯(こが)らしよ。〇〇さん(ニュースのキャスター)か昨日天気予報で言ってたもの。」

私がいつも気になってしまうのは、妻にとってテレビキャスターの〇〇さんが話題になるとき、となりの奥さんにこんな話し聞いたわよと、それぐらいの感じで話しているということです。(とても馴れ馴れしいという意味です。)女性にとってはあるあるなのでしょうけど…。

 

妻は「でも、こんなに暖かい木枯らしなんてはじめてね。」

たしかに…。

妻は最近、変形性膝(ひざ)関節症になり、もともと逆流性胃腸炎の症状もあります。子供の頃からの持病(じびょう)もあります。

「病気の問屋さんね。」と いうぐらいさまざまな病気を経験しています

ただそこに救いもあります。今のところ命にかかわる病気ではなかったということです。

妻はもともと身体が弱く、私は彼女が五十歳を越えたあたりから、よくこの年まで無事生きていると、不思議な感覚を覚えます。

それには少し訳(わけ)があります。

 

妻が40歳くらいのときだったでしょうか。知人が病気になって、みるみるうちに症状が悪化していきました。

夫婦で知人がなんとかたすかっていただきたいと、神様に願っていました。

そんな中、妻が私にこんなことをつげました。

「神様に私の命を〇年分捧(ささ)げますから、〇〇さんの命をたすけてくださいとお願いしたの。」(妻がそんな願いかたをあるのを、どこで知ったのかはわかりませんが、少し驚きました。)

そしたらね、神様がいうには、「お前の寿命はもともとない。だから捧げる命はないのだ。」そういわれて、がっかりしたそうです。

 

たすかってほしかった知人も、その後残念ながら、亡くなってしまいましたが、、私のなかで、そのときの言葉は、忘れることなくずっと残っていました。

なぜなら、私のなかで、神様にどんなことをいわれようと、神様は絶対だからです。

 

妻が一つ年をとるごとに、あらためて感慨を覚え、感謝の念がわいてきます。

もともとない寿命であれば、一年、一年(神様が)足してくれた命なのだと思っております。

秋晴れのなかに一連の雲あり(2)


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虐待をうけて、PTSDに苦しむかたから、銀行に連れていってほしいと頼まれて、車で連れて行ってあげました。

PTSD心的外傷後ストレス障害

車中で少し話しをしました。ちょっとした物音が怖いとのこと。自分は障害者であること。障害者なのだから、お金をふくめ、保護されるべき、権利があること。とはいえ、人から下に見られることの屈辱感(くつじょくかん)があるということ。

例えば、生活保護を受けることについての、誹謗(ひぼう)中傷があること。

「そんなこと、誰が言うの?」私がそう聞くと、彼女はネット世代なのですね。彼女の言(げん)です。ツイッターでは、そのことについて、7~8割が中傷にあふれているそうです。私は少し違和感をおぼえました。

 

「〇〇さんは、誰もが中傷してひどいことをいっているというけど、ほんとうにそうなの?」「最低、僕はそう思わないし、もし、本当にそうだとしても、あなたは、そんなあやふやな人たちの言葉を信じるの?」

「例え、10人中9人がもし、そう言ったとしても、一人の信頼できる人が、そうじゃないと言ったら、その一人の人の言葉を信じるべきじゃないの?」

つい、わたしも少し熱くなってしまっていたようです。答えは返ってきませんでした。きっと彼女の頭のなかでは、自分が経験してきたことと、私の言葉がぶつかりあっていたのだと思います。

 

わたしの祖父があるとき、一人の人から次のような質問を受けました。

「この世で一番だいじなものとはなんでしょうか?」

祖父は少し考えてから、

「信じるということが、一番だいじだと思います。」そう答えました。

私はその祖父の言葉を、偶然耳にしましたが、そのとき、その言葉はとても、平凡に思いました。

でも、今私は彼女に、祖父が言っていたと同じ言葉を伝えようとしていることに気がつきました。わたしの頭の中に、その言葉、その情景がよみがえっていました。

 

それは、今私の心を曇らせている争いの、唯一(ゆいつ)の答えのような気がするのです。

秋晴れのなかに一連の雲あり (1)

次男のアパートに用事があって、行ってきました。

帰りも一時間ほどの道のりですが、秋晴れのさわやかな天気ほど、心が晴れることはありませんでした。

地上にそって、一連の雲が鎮座(ちんざ)しているようで、よく見ると少しづつ動いています。

ある程度の時間がたつと、いつの間にか景色が一変していて、驚きます。

 

イスラエルはガザに進攻しようとしています。

人質はどうなるのでしょうか?

病院で退避することもままならない病人は…?

死が近いことがわかっていながら、、残らざるえないと覚悟しているのでしょうか?

人質はどんなことをしても、無事かえるよう、交渉しなければなりません。

巨大な軍事力が、何倍、何十倍の痛みを与えなければ、報復したという気持ちがおさまらないのでしょうか?

 

国民から弱虫の卑怯者(ひきょうもの)と言われるのが、がまんならないのでしょうか。

もし、戦争の火蓋(ひぶた)が切って落とされれば人質をふくめ、双方の戦闘員、避難しているおおくの人々の命も、さまざまなことの中で、失われるでしょう。

自分たちの決断が、自分たちの子孫にふりかかる業(ごう)となって、大きな不幸となることが、見えないのでしょうか?

あなたたちには、何も目に映っていない、(たましいが叫んでいるのが)聞こえてないのでしょうか?

 

私がまだ、20代の頃だったでしょうか(だいぶ昔になります)、ドキュメンタリー番組のなかで、パレスチナ人の女性と、イスラエルの男性の対話が、ありました。

どちらも、相手の心情は理解できました。

しかし、解決法がみつかりません。

言葉がみつかりませんでした。

探していた答えはみつかりませんでした。

でも、答えがでなくても、対話を続けていたら、最低、相手の苦しい気持ち、心情、閉塞感(へいそくかん)を知り、寄り添うことはできたはずでした。

 

なぜ、対話することをやめてしまったのでしょうか…。

 

次男が、「戦争がおこれば、ガソリンが、値上がりするよね。」との、筋違いの心配にあきれて、即席の歴史講座をしてしまいました。

次男の無知ぶりに、パレスチナイスラエルがなぜ、このようなことになってしまったのか解説したのです。

でも、そこで私は、知識をひけらかしただけで、無知であることには、次男同様変わりありません。

わたしの心がそれで、晴れるはずもありません。